子どもの心をはぐくむ土壌をつくりましょう

平成20年2月2日
益城町人権・同和教育推進協議会就学前部会 研修会


 こんにちは。
 中川でございます。私には孫が二人います。上の孫が小学校入学前に斜視の手術をしました。6歳になってすぐのことです。手術のなんたるかも知らないで手術を受けました。とても不安だったことでしょう。痛かったことでしょう。手術が終わって部屋に帰ってきたときは、泣きはらした顔でした。手術した目はガーゼで覆われていました。左手の甲にもガーゼが貼ってありました。その姿を見て、私はこんな小さい子がよく頑張ったと思わずこみ上げてくるものがありました。妻は孫の手をさすり、「よく頑張ったね。もう大丈夫よ」と声をかけました。下の孫は、姉の普段と違う姿を見て、驚いたのでしょう。妻の後ろに隠れるようにしておそるおそる姉を見ていました。妻が、「お姉ちゃん、頑張ったねと言って手をさすってあげなさい」というと、孫は驚いたような表情で「イヤ、こわい」と言うのです。
 毎日二人で遊んでいる姉とは様子が違ったからでしょう。泣き疲れて顔は腫れている、目はガーゼで覆われている、手の甲にもガーゼがあるで怖いと思ったのでしょう。「お姉ちゃんはね、目がよく見えるようになるようにお医者様から手術してもらったのよ。痛かっただろうけどよく頑張ったんだよ。ほら、手が冷たいでしょう。こうして手をさすってやるとお姉ちゃんもうれしいよ」と言って手をさすります。下の孫はおそるおそる手を出して手をさすり始めました。姉の「ありがとう」で、妹もいつもの姉だと気づいたのでしょう。顔が柔和になりました。
 このとき、姉妹愛がさらに出来たと思います。思いやる心などの人権感覚も芽生えたことと思います。
 私は、妹が「こわい」と言うなど思ってもいませんでした。いわば、全くの想定外のことでした。
毎日、幼児と接している先生方は、想定外のことが次から次へと起きていることでしょう。想定外のことが起きたときどう対応するか、これは幼児と接している先生方にはとても重要な課題ではないかと思います。対応の仕方をとっさに判断しなければなりません。私はその判断、対応の根底に座るものが人権感覚だと思います。
 ただいま部会長のご挨拶の中にもありましたが、近頃家族内での殺人事件が後を絶ちません。親が子どもを、子どもが親をあるいは祖父母を殺める事件が相次いでいます。また、乳幼児虐待も後を絶ちません。自分の命を大切にすると同時に他の人の命も大事にすることは人権意識の最も大切な部分です。幼児の頃からこの人権感覚を育てることは大きな課題であると思います。
 これからその人権感覚について、一緒に考えていこうと思います。
 「息子よ、息子!」という短い文を読みます。しっかり聴いてください。
 路上で、交通事故がありました。大型トラックが、ある男性と、彼の息子をひきました。父親は即死しました。息子は、救急病院に運ばれました。彼の身元を、病院の外科医が確認しました。
 外科医は「息子!これは私の息子!」と悲鳴を上げました。
 この話を聞いて、どう思いますか? 何かおかしいところはありませんか?
 外科医はこの息子の何にあたるでしょうか?
 外科医という言葉から男性の医師を思い浮かべませんでしたか。
 そして、話のつじつまが合わずにおかしいと思いませんでしたか。
 外科医は母親だったのです。これで、合点がいくでしょう。
 知らず知らずのうちに私たちの意識の中に、自分ではまったく気づかずに誤った思いこみや偏見を心に植え付けてしまうことがあります。思いこみや偏見をなくしましょう。
 先日、菊池恵楓園へ研修に行きました。展示資料の中に黒髪校事件がありました。それは、昭和29年、菊地恵楓園に入所している親をもつ子どもが生活している竜田寮の子どもが、地元の黒髪小学校に通学することにPTAの間から反対の声があがるという、通学拒否事件です。
 「ハンセン病はうつる病気、恐ろしい伝染病」と思いこんでいたことにより、ハンセン病患者への偏見と恐怖により起きた事件です。竜田寮の子ども達の登校に反対して、同盟休校へと発展したのです。当時の熊本商科大学長が竜田寮の子どもを引き取り、そこから通学させるということで、解決しました。
 「黒髪小PTAの反対派をそこまでかりたてたのは、ハンセン病は恐ろしい病気である、うつる病気であると人々が思いこんでいたからです。わが子を思うあまり取った行動であったと思います。このとき、伝染力は極めて弱く、うつることはないとの理解が出来ていればこのような事件は起きなかったでしょう。無知、知らないことは偏見を生みます。偏見は差別につながります。物事は正しく理解することが大切です」と元恵楓園長由布先生から聞いたことがありました。
 21世紀は生涯学習の時代といわれます。常に学習してものごとを正しく理解することが大切です。
 お手元の資料にたくさんの言葉を示していますが、それらが「差別的表現は含まれていない」「少し含んでいる」「かなり含んでいる」「非常に含んでいる」「わからない」の該当するところに印を付けてみてください。(5分程度各自で考える)
 「父兄」という言葉はどうでしょうか?
 ほとんどの方が、「含んでいる」と思っていますね。これは、戦前の家父長制の名残や男性社会を示す言葉ですね。学校では保護者と言っていますね。今、父兄という人はほとんどいないと思います。「イヤ、聞いたり目にしたりすることがあるよ」という顔をしていらっしゃる方がいます。そうですね。時々、テレビや新聞、雑誌などでこの言葉を聞いたり目にしたりすることがありますね。まだまだ、啓発が必要です。
 「良妻賢母」はどうでしょう?
 「含まない」「分からない」に○を付けた方も多いようです。皆さんは「3従の教え」という言葉を聞いたことはありますか?「家にあっては父に従い、嫁いでは夫に従い、夫死しては子に従う」というものです。あくまで男性を立てて、子育てをし、自分を犠牲にする生き方を言っています。女性蔑視と感じる人が多いですね。
 「片手落ち」はどうでしょうか?
 身体の一部を使った言い表し方はたくさんあります。「手短に」や「舌足らず」もそうですね。「片手落ち」は身体の一部を使った言葉です。「不快」いや「差別的響き」を感じる場合が多いですよね。今年のNHK大河ドラマは「篤姫」ですが、9年前、平成11年に「元禄繚乱」が放映されました。原作は舟橋聖一さんの「新忠臣蔵」です。江戸城松の廊下で浅野内匠頭が吉良上野介に対して刃傷をはたらき、内匠頭は切腹、吉良上野介はおとがめ無しという裁きがありました。これに対して原作では「片手落ち」とありましたが、ドラマでは「片落ち」と表現していました。
 6年生は修学旅行で長崎へ行きます。長崎では原子爆弾の投下でたくさんの犠牲が出ました。その中に爆風で、鳥居の片方が吹っ飛んで足が1本で立っている鳥居があります。これを以前は片足鳥居と表現してありましたが、今は「1本足鳥居」と呼び方が代わっています。これは、これまでの同和教育、人権教育の成果だと思います。
 「らい病」はどうでしょうか?
 かって「らい病」は公的な使われ方をしていましたが、現在では差別語です。「ハンセン病」といっていますね。
 「知的障害」はどうでしょうか?
 「精神薄弱」という言葉が不快感を与えるなどの議論があり、それに代わる言葉として「知的障害」が使われています。
 「同和」はどうでしょうか?
 「同和」の語源は、「同胞一和」とか「同胞融和」の略と言われています。「同和地区」、「同和行政」などと使われてきましたが、「同和の人」などと差別的に使われてきた経緯もあります。「同和」という言葉だけを使うことは差別性を含む表現として不適切です。先ほど言いましたように「同和行政」とか「同和教育」、「同和問題」などの複合語で使います。
 「文盲率」はどうでしょうか?
 字が読めない、書けないことを目が見えないことに例えています。目が見えなくとも様々な手段で読み書きが出来る人は多いですね。「非識字率」という言葉を使います。
 「痴呆症」の「痴呆」の意味や感じ方が不快であることから「認知症」という言葉を使っていますね。
 「と殺場」の「と殺」は差別語です。かなり前になりますが、テレビのニュースキャスターが「と殺場」という言葉を使って各方面から厳しく指弾されたことがありました。「殺す」という言葉から職業差別につながる響きがあります。「と場」とか「食肉処理場」という言葉が使われています。
 「バカチョンカメラ」はどうでしょうか?
 この「バカチョンカメラ」の言葉で次のような話を聞いたことがあります。韓国旅行をした人が、使い捨てカメラを取りだして、近くにいた韓国の人に「これで写真を撮ってください」と頼んだとき、韓国の人が「どうすればよいですか」と聞きました。「このカメラはバカチョンカメラですからこのシャッターを押すだけです」と言ってにこにこしながら写真を撮ってもらったそうです。ところが写真を撮った韓国の人は目にいっぱい涙をため、体が震えていたそうです。
 観光旅行に行ったこの人は「バカチョンカメラ」が差別語、韓国や朝鮮の人を差別する言葉とは知らなかったのです。
 本日は、人権研修会の場ですからあえて差別語を使いますが、「バカ」は「馬鹿」、「チョン」は「朝鮮半島の人々」を指し、それらの人々に対する蔑視的表現で差別語という意見があります。「使い捨てカメラ」また、「インスタントカメラ」と言った方がよいでしょう。
 「外人」は「害人」を思い起こさせると言うことから蔑視的響きを感じる外国人が多いそうです。ただ、「外人墓地」となると響きが違います。
 「表日本」「裏日本」、私は小学校の頃社会科でこのように習いました。しかし、「裏」という言葉にマイナスイメージを持つ人が多いのも事実です。今は、「太平洋側」「日本海側」と言う表現をしていますね。「後進国」という言葉もマイナスイメージがあるということで「途上国」という言葉を使っているでしょう。
 「歩くから人間」という広告には、多くの人から抗議があったそうです。特に障害がある人や関係者に対して極めて不快感を与えます。
 これまで見てきましたように、発言する方は差別しようと思わなくとも、その言葉を聞いた人が極めて不快を感じたり、差別感を持ったりすることがあることが分かったと思います。
 先ほども話しましたが、知らないことから「誤解」が生まれます。「誤解」をそのままにしていると「偏見」になります。「偏見」をそのままにしていると「差別」になります。
 人権とは、「誰もが生まれながらにして持っている基本的な権利であり、人間が自分の生活を理由なく侵害されず、人が人として生きていく権利」と、熊本県人権教育・啓発基本計画には記してあります。
 その人権課題には、女性の人権、子どもの人権、高齢者の人権、障害者の人権、同和問題、外国人の人権、HIV感染症・ハンセン病等をめぐる人権、犯罪被害者等の人権、その他さまざまな人権課題があります。
 本日は、そのなかでも同和問題を考えてみたいと思います。
 日頃は、「俺は、差別もなんもしよらん。誰とでも付き合っている」と誰もが口にします。しかし、結婚や就職と言った人生の節目の時、差別意識が心の奥底から出てくるのです。
 熊本県が作成した「人権教育研修テキスト」に、熊本県が平成16年度に調査した県民意識調査のデータが記してあります。
 同和問題に関し、どのような問題が起きていると思うか」の問に、複数回答ですが、
@結婚問題で周囲が反対すること   54、4%
A身元調査をすること        41、8%
B就職・職場で不利な扱いをすること 29、8%
と答えています。結婚や就職と言った人生の節目のときに差別意識が出てくることがこのことからも伺うことができます。
 結婚問題に対する態度について、子どもが同和地区の子どもと結婚するときどうするかの親の態度を聞いた問に対して、
@子どもの意見を尊重する。親が口出しすべきことではない  62、5%
A親として反対するが、子どもの意志が強ければしかたがない 30、0%
B家族や親戚の反対があれば、結婚を認めない         4、1%
C絶対に結婚を認めない                   3、4%
 6割の人が親が口出しすべきことではないと回答しています。これまでの人権・同和教育の成果だと思います。しかし、反対するがしかたがないと回答した人が3割もいること、さらに、結婚を認めないが7、5%もいることはさらなる教育啓発が必要なことを示しています。
 結婚問題に対して、同和地区の人と結婚しようとしたとき周囲の反対があればどうするかの本人の態度を聞いた問に対して
@親の説得に全力を傾けたのち、自分の意志を貫いて結婚する 54、5%
A自分の意志を貫いて結婚する               26、7%
B家族や親戚の反対があれば、結婚しない          15、2%
C絶対に結婚しない                     3、6%
 5割強の人が親を説得して結婚すると答えています。これも、これまでの同和教育の成果だと思います。自分の意志を貫くと合わせると8割の人が結婚すると回答しています。しかし、反対があれば結婚しない、結婚はしないと回答した人が2割弱もいることです。同和対策審議会答申のもと、同和教育が始まって、40年近く経った今でもこのような考えの人がいることを私たちは重く受け止め、さらなる人権・同和教育・啓発活動を進めていかなければならないと思います。
 この部落差別の起こりについては先生方、ご承知の通りです。封建時代、時の為政者が幕藩体制を維持するために作った身分制度、更に低い身分として作られたことが起源であることは小中学校の社会の学習で指導するとおりです。
 一つ一つの項目ごとに見ていく時間はありませんので、帰ってから改めて読み直してください。
 明示政府は、富国強兵 殖産興業 文明開化 四民平等を推し進めました。そして、1871年(明治4年)8月28日、太政官布告いわゆる「解放令」を出しました。「自今身分職業共平民同様タルヘキ事」というものです。賤称を廃止し、被差別部落の人々の身分・職業とも平民と同じになると宣言しましたが、宣言のみに終わり、何の行政施策もないまま被差別部落の人々にとってはさらに厳しい貧困と差別が続いたのです。
 さらに、1872年(明治5年)わが国で最初の近代的な戸籍、いわゆる「壬申戸籍」が作られました。これには、旧身分や職業、壇那寺、犯罪歴や病歴などのほか、家柄を示す俗称欄が設けられていました。戸籍法では、従前戸籍の公開が原則とされていたので、この「壬申戸籍」は1968年(昭和43年)包装封印されて厳重に保管されるまで、他人の戸籍簿を閲覧したり、戸籍謄(抄)本を取るなど、結婚や就職の際の身元調査に悪用されたのです。
 身元調査では、企業が地名総監なるものを購入し、就職選考などで使っていた事実はご存じでしょう。
 先生方は読まれたことと思いますが、島崎藤村が「破戒」を発表したのが明治39年です。主人公 瀬川丑松は信州の出身ですが、父親から「決して自分の出身を明かしてはならない」という戒
を破る過程が描かれています。部落出身であることを明らかにして、社会運動に取り組む猪子蓮太郎への尊敬と恐れ、テロによる猪子蓮太郎の暗殺をみて、丑松が部落出身であることを告白するにいたる葛藤が書かれています。藤村は、部落民を卑しい人など表現していますが、部落差別に悲しみ、苦しみ、怒り、平等社会の実現を願い、差別の不当性に抗議していることを読み取ることができます。猪子廉太郎を尊敬していた丑松が部落差別から逃げるのではなく、差別解消に立ち向かう先生であったならもっと社会の様子も変わったに違いありません。しかし、当時はそのように厳しい部落差別があったのです。
 大正11年3月3日、全国から被差別部落の人々がさまざまな弾圧を乗り越えて、京都の岡崎公会堂に集まり、全国水平社が創立されました。「人の世に熱あれ人間に光りあれ」の水平社宣言を採択し、被差別部落の人々自らの手で解放を勝ち取ろうという運動が青年たちを中心に始まったのです。
 「オール・ロマンス事件」という言葉を聞いたことがありますか? 昭和26年、京都市衛生局の一職員が、『オール・ロマンス』という雑誌に被差別部落をモデルとして劣悪な実態を興味本位に強調して書いた小説を発表したのです。この問題について部落解放京都府委員会と京都市との話し合いがもたれる中で、「火事が起きたとき、消防車が入れない所はどこか」「下水道が完備していない所はどこか」「子どもたちにトラコーマが多い所はどこか」などを尋ね、その地を京都市の地図に書き入れていったところ、印が集中する地域があり、それが被差別部落であり、生活環境の低位な実態が明らかになったのです。この事件をきっかけに行政施策が必要であるとの考えが広まっていきました。
 また、昭和38年、高知県で子どもたちの教育権を保障するために、「教科書無償」の取り組みがはじめられました。高知県の被差別部落の人々が、「憲法には義務教育は無償とするとある。教科書は無償で支給して欲しい」という運動を起こしました。国は、被差別部落の子どもたちに教科書を無償で支給すると回答しましたが、私たちの運動は私たちの子だけに特別に無償支給して欲しいと運動しているのではない。全国の子どもたちに無償で支給して欲しいと願っていると運動を続けました。奈良県でも、その取り組みがはじめられ、ついには、全国的なうねりとなって、昭和38年「義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律」が成立し、義務教育における「教科書無償」制度が実現をみたのです。
 私は長男でしたので教科書は買っていました。友だちの中には兄さんや姉さん、隣近所の先輩から教科書を譲り受けている人もいました。私は親から「教科書には線を引くな」「漢字の読み仮名も書くな」「ページをめくるとき、つばを付けるな」などといわれていました。弟たちに教科書を譲るためです。
 教科書が無償となったのは、大きな成果です。
 昭和40年、同和対策審議会が「同和地区に関する社会的及び経済的諸問題を解決するための基本的方策」を答申しました。前文に「同和問題は日本国憲法によって保障された基本的人権にかかわる問題であり、同和問題の早急な解決こそ国の責務であり、同時に国民的課題である。」と明記されています。
 この答申を受けて、昭和44年、同和問題の解決のための法律「同和対策事業特別措置法」が時限立法として制定・施行され、法律の名称を「地域改善対策特定事業に係る国の財政上の特別措置に関する法律」と変え、住環境の整備でありますとか、経済基盤等の実体的差別がある程度解消されてきたことから平成14年3月31日をもって法は失効しました。法はなくなりましたが、人権・同和教育が終わったわけではありません。これは、特別法から一般法へ事業が移行したのであり、部落差別がある限り同和教育・人権教育を推進していくことは当然のことです。
 平成8年、地域改善対策協議会は「同和問題の早期解決に向けた今後の方策の基本的な在り方について」を、総理大臣・関係各大臣に対して意見具申を行いました。それには、あらゆる差別の解消を目指す国際社会の一員として、その役割を積極的に果たしていくことは「人権の世紀」である21世紀に向けた我が国の枢要な責務である。同和問題など様々な人権問題を一日も早く解決するよう努力することは、国際的な責務である。さらには、差別意識の解消を図るに当たっては、これまでの同和教育や啓発活動の中で積み上げられてきた成果とこれまでの手法への評価を踏まえ、すべての人の基本的人権を尊重していくための人権教育、人権啓発として発展的に再構築すべきと考えられる。その中で、同和問題を人権問題の重要な柱として捉え、この問題に固有の経緯等を十分に認識しつつ、国際的な潮流とその取組みを踏まえて積極的に推進すべきであると述べています。
 人権教育は、世界の流れです。「人権教育のための国連10年」が国連で採択され、その行動計画が策定されたことは皆さんご存じでしょう。今、アメリカでは大統領の候補者選びに関するニュースが、連日流れています。特に、民主党のヒラリー候補、オバマ候補の競り合いは日本でも新聞テレビで連日報道されています。ヒラリーさんが大統領になれば女性初の大統領、オバマさんであれば黒人初の大統領です。アメリカは長年人種差別で揺れ動いた国です。もし、どちらかが大統領になれば本当に画期的なことです。
 世界の流れの中で、同和教育から人権教育へと広がってきましたが、自分の人権を大切にするのと同じように隣の人の人権も大切にしていこうということです。
 平成18年1月文部科学省は、人権教育の指導方法等の在り方について[第2次とりまとめ]を発表しました。基本的な考え方として、「自分の大切さとともに他の人の大切さを認めることができるようになり、それが、様々な場面で具体的な態度や行動に現れるようにすること」と述べています。つまり、知識だけではなく実践的な行動力を身につけるようにすることが求められています。
 「花を支える枝 枝を支える幹 幹を支える根 根は見えねんだな」。
 これは、あいだみつおさんの作品です。根が張るには土壌がとても大切です。土壌づくりがどのように行われたかで咲く花が変わってしまいます。
 よく言われることですが、土壌と花の関係にあじさいの花の色があります。酸性の土壌(酸性土)では、アジサイの色は、青色です。アルカリ性では、赤色の花が咲きます。
 これは、花のことですが、子どもの育ちも同じようなことが言えると思います。そこで、本日のテーマを「子どもの心を育む土壌を作りましょう」としました。どのような土壌を作るかは、皆さんの毎日の保育活動にかかっていると思います。
 県教育委員会は、次の4つの同和保育の視点を掲げています。
 ・基本的生活習慣の確立、・健康な身体づくり、・知的能力の開発、・豊かな感性です。
 この同和保育の視点は、平成10年12月14日に出された幼稚園教育要領幼稚園教育の目標と
全く合致します。
 目標には次のように記されています。
@健康、安全で幸福な生活のための基本的な生活習慣・態度を育て、健全な心身の基礎を培うこと。
A人への愛情や信頼感を育て、自立と協同の態度及び道徳性の芽生えを培うようにすること。
B自然などの身近な事象への興味や関心を育て、それらに対する豊かな心情や思考力の芽生えを培うようにすること。
C日常生活の中で言葉への興味や関心を育て、喜んで話したり、聞いたりする態度や言葉に対する感覚を養うようにすること。
D多様な体験を通じて豊かな感性を育て、創造性を豊かにするようにすること。
 また、保育所保育指針においても次のように知るされています。
 人との関わりの中で、人に対する愛情と信頼感、そして人権を大切にする心を育てるとともに自主、協調の態度を養い、道徳性の芽生えを培うこと。
 今年1月17日に発表されました「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善について」の答申案では、人権尊重の視点から幼稚園教育の在り方について述べています。これが、幼稚園要領の元になりますので、皆さん方は既に目にされた方も多いと思います。そのいくつかを見てみましょう。
 ○集団生活の中で自発性や主体性等を育てるとともに、人間関係の深まりに沿って、幼児同士が共通の目的を生み出し、協力し、工夫して実現していくという協同する経験を重ねる。
 ○集団生活を通して、幼児が人とかかわりを深め、規範意識の芽生えを培うことが大切である。このため、幼児と教師の信頼関係を基盤に、自分の思いを主張し合い、受け入れられたり、受け入れられなかったりする体験を重ねながら、友達と共に生活するためには、きまりが必要であることに気付くようにする。
 ○教師や他の幼児と共に様々な出来事に出会ったり、活動したりして、多様な体験を重ねる中で、幼児の調和のとれた発達を援助していくようにする。その際、幼児の心が動かされる体験が次の活動を生み出すことを考慮し、ひとつひとつの体験の関連性を図るようにする。
 ○幼児が、心動かされる体験をして、その感動や思い、考えを言葉に表し、そのことが教師や友達などに伝わる喜びを味わうとともに、相手の話を聞き、その内容を理解し、言葉による伝え合いができるようにする。
 ○幼児が友達と共に遊ぶ中で、好奇心や探究心を育て、思考力の芽生えを培うことが大切であることを考慮し、幼児一人一人の興味や関心を生かしつつ、友達と共に試したり、工夫したりして、周囲の環境に対する新たな視点に気付いたり、新しい考えが生まれたりするようにする。
 ○日々の活動の中で、教師や友達に自分の言動を認められたりしながら、自分のよさに気付くことで、一人一人の幼児が自信をもって行動できるようにする。
 ○幼稚園での生活の中で、幼児が自己を十分に発揮し発達に必要な体験を得ていくためには、心のよりどころとしての家族とのつながりが大切であることから、自分が家族から愛されていることを感じられるようにするとともに、その愛情を感じることによって、家族を大切にしようとする気持ちが育つようにする。
 答申は、「人との交わり」、「心動かされる体験」などを重視して、子どもたちに豊かな感性を養うよう求めています。
 私は、いろんな場で「心を揺り動かす体験をさせましょう」と訴えています。心を揺り動かす体験を私は「情動体験」と呼んでいます。この情動体験から、感性が生まれるものと思います。ですから、情動体験を数多く積み重ね、豊かな感性を培いましょうとあちこちで訴えているのです。
 喜び、哀しみ、怒り、楽しみ、悔しさ、憧憬、驚き、などを体験を通して心に刻み込むことです。
 花火大会で、「うわー、きれいか」「うわー、音の太か」と手を取り合って感動している親子がいました。反対に「せからしか、だまって見とききらんとね」と子を叱る親がいました。どちらが感性を高めるかおわかりですよね。
 私が益城中央小学校に勤務している時の話です。中央小学校には、南京ハゼの木が数本あります。この木は見事に紅葉します。とてもきれいです。12月の始め頃だったと思います。とても冷え込んで霜柱がたっている朝でした。1年生の子どもたちが霜柱の間から紅葉した落ち葉を、小さな手を真っ赤にしながら拾い集めていました。1時間目の休み時間、その子どもたちが「校長先生プレゼントします」と、南京ハゼの落ち葉を持ってきました。輪ゴムで束ねた落ち葉はそれはきれいなものでした。私は「うわー、きれいか。ありがとう」と子どもたちに声かけました。子どもたちも満面笑顔でした。感動は他と共有することで増幅します。この感動が豊かな感性の源です。
 私は、私設の保育園長です。孫が小さい頃、秋津公民館の砂場に連れて行っていました。砂場では、子どもたちが遊んでいます。初めは、他を気にせず遊んでいますが、しばらくすると、互いに他が気になります。そこで、チラッと相手を見あいます。初めは視線が合うことはありません。何度か見合うことによって視線が合います。このときです。ニコッとします。ニコッとするのは「一緒に遊ぼうか」のサインを送ることです。それから一緒に遊びます。
 目を合わせるというのは、自分の意図や感情を相手に伝えることです。だから、「目は心の窓」とも言いますね。最近、群れてはいても互いに自分の携帯に夢中になり、目を合わせずに話し合っている光景を見かけます。目を合わせなくなることはとても怖いことです。子どもたちには目を合わせる経験をたくさんさせてください。
 幼稚園の先生から聞いた話です。
 砂場で子どもたちが池を掘って、水をためて遊んでいるところへアリが1匹迷い込んできました。一人の子が、「このアリおぼれさせようか」というと、まわりの子も「そうしよう、そうしよう」とアリを水の中に入れようとしたそうです。そのとき、一人の子が「アリさんが可愛そう。逃がしてあげましょう」と言ったそうです。それで、遊んでいたみんなが我にかえってアリを逃がしたとのことでした。
 その様子を見ていた幼稚園の先生は、「アリを逃がしてあげましょう」といつ言おうかと思っていたと言うことでした。先生が「逃がしてあげましょう」ということよりそこで一緒に遊んでいる子どもの中から「逃がしてやろうよ」という声が出ることの方がどれだけ周りの子の感性に訴えることが出来るかは言うまでもありません。
 私は「ありとし」と言います。小さい頃から「ありちゃん」と呼ばれていました。
 予断ですが、インターネット上に「ありちゃんのホームページ」を開設しています。インターネットを利用していらっしゃる方は是非開いてみてください。「ありちゃんのホームページ」で検索すれば2番目か3番目に出てきます。
 元に返りますが、時には「ありが来た。踏みつぶそうかい」とからかわれたことがありました。その度に「おれはありじゃなか。ありとし」とくってかかっていました。そんなことがあってか、アリの話には敏感です。
 そこに示しています、まどみちおさんの「アリくん」を読んでみますね。

 アリくん まど・みちお
アリくん アリくん
きみは だれ
にんげんの ぼくは
さぶろうだけど
アリくん アリくん
きみは だれ

アリくん アリくん
ここは どこ
にんげんで いえば
にっぽんだけど
アリくん アリくん
ここは どこ

 こんな感性豊かなとらえ方をしたいものです。
 また、こんな豊かな感性を持った子どもたちをはぐくんでください。
 総合的な知、知の育ち、心の育ち、体の育ち、は時間の都合で割愛します。
 おわりに、桑原律さんの「心」を一緒に読みましょう。

     
                桑原 律

誰もが持っている心
うれしいことがあれば喜ぶ心
悲しいことがあればふさぎ込む心
つらいことがあれば苦しむ心
困ったことがあれば悩んでしまう心

だれもが持っている心だから
うれしいときにも悲しいときにも
つらいときにも困ったときにも
おたがいに思いやる心で共感し合いたい

何げなく言われた言葉で
心を傷つけられる人がいる
いつも共感してくれるその言葉で
現実と向き合う気力を取り戻す人がいる

世の中には
心の冷たい人と
心の温かい人がいるようだ

世の中には
差別をする心の人と
差別をなくそうとする心の人がいるようだ

差別をなくしていくために
心を傷つけられた人の痛みがわかる
優しい心の持ち主でありたい

だれもが持っている心
傷つきやすい心であればこそ
傷つけ合わず 尊重し合いたい

 ありがとうございました。
 私が話しましたことや配付しています資料を元に、今夜は是非家族で話し合いをしてください。それが、人権教育のひろまり、豊かな人権感覚の醸成につながるものと思います。
 ご静聴ありがとうございました。